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演劇×(教育×地域×採用)

花まる学習会王子小劇場の企画発起人の佐藤孝治の観劇ブログです。

佐藤佐吉演劇祭・佐藤佐吉賞の佐藤佐吉とは誰か

「ねえねえ、佐藤佐吉賞の佐藤佐吉って誰なのかなあ」

花まる学習会王子小劇場の席に座って開演を待っていたら前の席の女子高生と思われる二人組が演劇のチラシを見ながら会話していました。

「ねえねえ、佐藤佐吉賞の佐藤佐吉って誰なのかなあ」

「それは、あれだよ、演劇の偉い人に決まっているでしょ」

「そっかー、そうだよね。さすが演劇のこと詳しいねえ」

と言う会話でした。どうやら役者さんのプロフィールに「佐藤佐吉賞受賞」と書いてあったようです。

「ああ、違うんだけど、急に知らないおじさんが後ろの席から、声をかけてきたらビックリするし、怪しいよなあ」と開演までドキドキして結局その誤りを訂正することは叶いませんでした。

また、現在、映画監督、脚本家、俳優として活躍されている佐藤佐吉さんという方がおられます。Googleで検索をするとこのように検索結果が表示されるので、完全に佐藤佐吉賞の佐藤佐吉とはこの方だと思われている方も多いかと思います。しかし、佐藤佐吉演劇祭・佐藤佐吉賞の佐藤佐吉はこの方ではありません。

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実は、映画監督、脚本家、俳優の佐藤佐吉さんにゲストとして王子小劇場に来て頂いたことがあります。その時に、ご本人が「実際によく聞かれる」とおっしゃっていたそうです。ご迷惑をおかけしていることも多々あったかと思いますが、ご協力をいただきまして、ありがとうございます。

佐藤佐吉演劇祭と佐藤佐吉賞とは何か

ということで、佐藤佐吉演劇祭・佐藤佐吉賞の佐藤佐吉とは誰なのかについて書きたいと思いますが、その前に佐藤佐吉演劇祭と佐藤佐吉賞とは何かについて知らない方もおられると思いますので、ご紹介させていただきます。

佐藤佐吉
花まる学習会王子小劇場で年間上演されたすべての公演を対象に、優れた作品・戯曲・演出・舞台美術・照明・音響・衣装・宣伝美術・主演男優/女優・助演男優/女優の各部門を表彰するものです。

2002年より、翌年正月の劇場新年会において発表・受賞式が行われています。

過去、数々の話題公演・新進気鋭劇団・演劇人を受賞者から輩出しており、最近では授賞式における演劇人の交流も、新たな表現を生む土壌となりつつあります。

過去受賞履歴(旧・王子小劇場アワード)

佐藤佐吉演劇祭

花まる学習会王子小劇場が自信をもってお薦めする、 より多くの観客に観ていただきたい作品を集めた演劇の祭典。 花まる学習会王子小劇場では注目すべき作品、才能が集うときのみ 「佐藤佐吉演劇祭」を開催しています。これまでは、2004年から2年に一度のペースで開催しています。

佐藤佐吉演劇祭2004「劇視力1.0」
2004年11月1日〜2005年1月3日:8団体参加

佐藤佐吉演劇祭2006(劇視力2.0)「物語の現在地」
2006年10月4日〜12月5日:9団体参加

佐藤佐吉演劇祭2008(劇視力3.0)「たたかう劇場」
2008年6月18日〜9月3日:8団体参加

佐藤佐吉演劇祭2010(劇視力4.0)「生まれるエンゲキ」
2010年8月3日〜10月13日:9団体・3企画参加

佐藤佐吉演劇祭2012 (劇視力5.0)「演劇を、着る。」
2012年6月22日〜9月17日:10団体・2企画参加

佐藤佐吉演劇祭2014+(短期間、複数会場で展開)
2014年6月25日〜7月21日:5会場・12団体参加

佐藤佐吉演劇祭・佐藤佐吉賞の佐藤佐吉とは誰なのか

佐藤佐吉は私の祖父です。

栃木県から東京に出てきて、色々な仕事を経験して、これからの時代は電気の時代だと確信して、電器店で修行をして、独立起業して、佐藤電機を創業しました。

当時、SSアイロンというアイロンを製造販売していました。SSは佐藤佐吉のイニシャルで家紋と組み合 わせたロゴマークがあります。このアイロンは使いやすくて壊れないと大変な評判を呼んだようです。使う人のことを考えて工夫をしていました。親指を置くところがあって、力を入れやすくしてあったり、ワイシャツのボタンがある場所をしっかりアイロンかけられるようにと、アイロンの側面に程よい感じの穴があいていてワイシャツのボタンがすっぽり入るようになっていました。百貨店の松坂屋に今で言うOEM供給をしていて「松坂屋アイロン」というプレートを貼ったアイロンを自転車に積んで上野松坂屋まで納品していたという話も祖母から聞きました。「アイロンの親指置きの特許を譲って欲しい」と松下幸之助さんから懇願されたという話は祖父から聞いたことがあります。

東京大空襲で工場が焼けてしまった上に、これまで戦車を作っていた会社が家電品製造に乗り出してくるということを踏まえて、家電品製造からは撤退して、販売の事業に集中すると決めたそうです。

テレビ放送が始まった頃は、部品を購入して組み立ててテレビを作って納品していました。かなり売れていたようです。店舗にはテレビの箱を並べておき「どの箱がいいでしょうか」と訊ねて選んで頂き、注文をもらってからブラウン管など必要な部品を買ってきて組み立てたそうです。作業着を着た本田宗一郎さんが立ち寄って、テレビを選んで、本田宗一郎さんのところにテレビを納めたと言う話は祖母から聞きました。

Wikipediaで本田技研工業の歴史を紐解くと、

1950年(昭和25年) - 東京・京橋に営業所開設。同時に北区上十条の東京工場が稼動を開始。
1951年(昭和26年) - 現在の埼玉県和光市に白子工場を建設。 

とあるので、この頃に、現在、花まる学習会王子小劇場がある、北区王子の佐藤電機の店舗に本田宗一郎さんがご来店されていたと思われます。


劇場の裏手にある柳田公園では、佐藤電機が提供する街頭テレビがおかれて、力道山のプロレス中継などで盛り上がっていたそうです。

北区立柳田小学校PTA初代PTA会長 

佐藤佐吉は1952年に開校した北区立柳田小学校のPTA初代PTA会長に就任しました。校歌がないので、校歌を作ろうということになり、作詞家の先生と作曲家の先生に依頼しました。作詞家の先生が「柳田小学校のことを知りたいので、PTAの皆さんで思い思いに作詞をして見てください」という話を頂き、参考にしてもらうために作詞をしました。複数の校歌を作るための参考にしてもらうための歌詞が集りました。作詞家の先生に見てもらったところ「この歌詞が素晴しい。2番と3番を入れ替えればそれで完成です」との評価を頂き、柳田小学校の校歌は作詞佐藤佐吉、作曲井上武士となりました。

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作曲をされた井上武士さんは「海は広いな大きいな」が歌い出しの『うみ(作詞:林柳波)』をはじめ「ぞうさん(作詞:堀内敬三)」「チューリップ(作詞:近藤宮子)」を作曲されています。この時、作詞をお願いしていた先生はどなたかなのかは、調べようがないので、不明です。

石神井の水害を止めるために東京都北区議会議員に立候補

柳田小学校の歌いだしに「石神井の清清き流れにまやびやは」とあるのですが、この王子を流れている石神井川は台風が来ると度々氾濫していました。1958年の狩野川台風では王子駅改札口が冠水するなど北区だけで5000世帯が被害にあいました。これをなんとかしなくては行けないという声が大きくなって、住民を代表して声を届けるために、東京都北区議会議員に立候補をして議員になりました。石神井川飛鳥山の下にトンネル作って通す飛鳥山分水路を作るために努力をしたそうです。その後、1966年から1968年にかけて飛鳥山の下をトンネルで通す飛鳥山分水路(バイパス)の建設工事が行われ、1969年3月に完成しました。

その後、東京都北区議会をしている時に病気で倒れて、政治の世界を引退しました。私が物心ついた時には、祖父は引退していて、リハビリをかねて近所の碁会所(ごかいしょ)へ行き囲碁を楽しみ、夜は巨人戦、ボクシング、プロレスなどの中継を楽しんでいました。ボクシングの中継を見ている時には、ボクサーと一緒になって体を動かしていました。とても話が面白く、いろいろな武勇伝を直接聞くことができました。

強烈に記憶に残っているお話があります。 

「マドンナだったら良く知っている。色の白い、背の高い美人だ」

三菱電機がマドンナを起用してTVCMをしていて、1987年の夏にマドンナが初めて日本でライブを開催しました。三菱電機プレゼンツのコンサートでしたので、三菱電機から電機材料を仕入れて売っている佐藤電機にコンサートチケットが回ってきたのでした。

「こうじ、あなたマドンナのコンサート行く?」と母が私に言いました。

「マドンナだったら良く知っている。色の白い、背の高い美人だ」と祖父。

おじいちゃん凄いなあ。マドンナのことを知っているなんて!と家族一堂が盛り上がります。私はテレビのワイドショーとかでやっていたのを見て知っているのかなと思っていました。

マドンナについておじいちゃんがいろいろと話をするのですが、なんとなく何かおかしいのです。ちょっとずつおかしいのだけれども、何がおかしいのか分からず、しばらく晩ご飯を食べながら話を聞いていました。何を間違えているのかの間違え探しゲーム的な展開になっていきました。

いろいろと話を聞いていったら夏目漱石の小説『坊っちゃん』に登場するマドンナのことを知っているということでした。そのまま演劇のシーンになりそうな家族の団らんは記憶に残っています。

「地域のためになることをする」

祖父の佐藤佐吉は「地域のためにできることをしてきた」ということを私は知っていました。そのため、駅前にマンションを建てるという話を聞いた時に、地域のために価値ある場所を創ったらいいのでは無いかという発想になりました。そして「倉庫ではなく劇場を作るべきだ」という提案をしました。そして、劇場を作ることになりました。

いま、振り返ると祖父と祖母が頑張って残してくれた場所に、祖父の意志である「地域のためになることをする」を受けとって、いま花まる学習会王子小劇場があるんだなと感じます。

ちなみに、佐藤佐吉賞の始まりについてご紹介しますと、営業1年目に利用団体あてに書いた年賀状で王子小劇場アワードを発表。全13部門劇場の年間賞で、その後、2001年まで王子小劇場アワードという名称で、年賀状で発表していた。当時、当時王子小劇場の職員をやってた松本謙一郎さんが「賞の名前を変えよう、あわせて新年会やって表彰しよう」という提案を受けて、2002年から佐藤佐吉賞という名前に変わり表彰式がスタートしました。表彰も授賞式も今も続いている。賞の名前が「王子小劇場アワード」から「佐藤佐吉賞」に変わって「すごい賞感」が出るようになったけれど、「佐藤佐吉って誰なのだろう」という疑問も生まれました(笑)。詳しくは「あたしが王子小劇場にいたころ~疾風篇~」をご覧下さい。

メセナ アワード2008「たたかう劇場賞」を佐藤電機が受賞

賞といえば、公益社団法人企業メセナ協議会の「メセナ アワード2008」で佐藤電機株式会社の「王子小劇場の運営と、若手劇団への支援」が評価をされて「たたかう劇場賞」を受賞しました。計151件(136社・団体)の応募の中から選ばれ、サントリー伊予銀行竹中大工道具館トヨタ自動車、ふくや、ソニー音楽芸術振興会と並んで表彰されました。審査委員にはいとうせいこうさん、北川フラムさんがおられました。

大学在学中に東京通信工業(のちのソニー)のテープレコーダーの音質にクレームをつけたのがきっかけでご縁ができて、盛田昭夫さん、井深大さんに誘われソニーに入社し、その後、ソニーの社長を務められた大賀典雄さんと一緒に写真に写っていることに感動しました。この時の表彰は佐藤佐吉の長男の佐藤行雄が受けました。

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しのぶの演劇レビュー: 【写真レポート】「メセナ アワード2008贈呈式・たたかう劇場賞受賞 佐藤電機株式会社」11/28スパイラルホール

 以上「佐藤佐吉演劇祭・佐藤佐吉賞の佐藤佐吉とは誰か」でした。

あわせてご覧頂きたいブログエントリーがあります。
王子小劇場が出来るまでの物語